明治神宮の菊の紋章の意味と由来は?なぜ桐の御紋もあるの?

神社

明治神宮は、鳥居や提灯には菊の御紋ですが、お守りや御朱印には菊と桐の御紋が入っています。

菊の紋章は天皇家の紋章ですが、何故、桐の紋章も入っているのでしょうか。

そもそも、菊の紋章も何故天皇家の紋章になったの?

明治天皇の由来がある明治神宮の紋章を紹介!

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明治神宮の菊の紋章と桐の紋章どこにある?

明治神宮では、鳥居に立派な菊の紋が入っています。

ここは南参道の入り口、原宿駅から一番近い場所の鳥居です。

明治神宮では南参道だけでなく、基本的にはどの鳥居にも天皇家の象徴である菊の紋章が入っています。

 

また提灯にも菊の紋が入っています。

 

本殿の手前の門の入り口には、門自体にも菊の紋章が彫られています。

 

桐紋は南神門両脇門の扉のみに彫られています。

桐の紋章とはこのような紋。

桐紋は、お守りや御朱印にも記載されています。

御朱印帳はこんな感じ。

右が菊で左が桐の紋です。

 

でも何故

  • 菊の紋章
  • 桐の紋章

が一緒に載っているのでしょうか。

 

それは

  • 菊の紋章・・・天皇家の象徴
  • 桐の紋章・・・日本国の象徴

だからです。

 

ではそもそも何故、菊の紋章が天皇や皇族の物で、桐の紋章は国の物なのでしょうか。

そして、何故この二つの紋章を明治神宮に用いているのでしょうか。

それにはこ~んなに深い理由がありました。

 

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菊が天皇家の紋章になった理由

菊は花の中でも、昔から現在に至るまで最も高貴な花として扱われてきました。

その為、天皇家の紋章と言えば「菊の花」というイメージがありますが、実は元々菊は日本の花ではありません。

 

遥か昔、メソポタミア文明が存在していた紀元前3000年頃の中心でもある古代都市バビロンがあった時代に、菊を「装飾」として使用していたのです。

バビロンは、地図で言うと今のイラクある場所です。

 

その後、インドや中国、朝鮮でも建築装飾として菊が使用され、日本に菊が入ってきたのは何と奈良時代。

 

中国からの輸入花として

邪気を払う不老長寿の薬

として、菊はもてはやされたようです。

 

そして菊はその後、花の形が太陽の形に似ている所から天照大御神(アマテラスオオミカミ)が連想され、日の御子・天皇の象徴とされました。

奈良時代に続く平安時代には、菊の紋章が広く使われるようになり貴族の間では広く利用されていたそうですが、鎌倉時代の天皇・後鳥羽天皇が非常に菊を気に入り

  • 自分の刀
  • 移動する際の車(この時代は輿車と言います)
  • 衣服

に菊の紋章をあしらうようになり、自然と皇室の紋章という風になったのだそうです。

 

ちなみに輿車とは、こんな感じの乗り物です。

※ウィキペディアより引用

 

しかしその後、天皇が身に着けている紋章という事で、一般市民も菊の紋を使う事が許され、位の高い武士やお菓子などを営む商店、仏具などを扱う店はこぞって菊の紋章を用いるようになりました。

なのでこの時代は、皇室だけが菊の紋章を扱っている訳ではなかったのです。

 

この頃は、皇族と一般市民との差別化を図る為に行っていた政策は、菊の花の枚数。

菊には

  • 10枚
  • 12枚
  • 16枚

の花びらがあります。

この中で一番花びらが多い16枚の十六菊を皇室・皇族専用の紋章としたのです。

 

但し、更にここから細かく菊の種類を分けます。

菊が複数枚重なっている場合、○重菊と呼び(8枚なら八重・9枚なら九重)

  • 花びらが表を向いているものは表菊
  • 裏を向いている者は裏菊

と表記します。

 

例えば、16の花弁で裏を向いた八重菊であるのなら「十六八重裏菊」とするのです。

天皇および皇室を表す紋章は、菊紋の中でも十六八重表菊を用いる事とし、他との差別化を図りました。

 

なので、天皇や皇室、皇族は菊の花びらが16枚の十六八重表菊の紋章となります。

 

しかし明治時代に入り、いきなり菊の紋章を扱う事を全面禁止されてしまいます。

一部の神社を除き、菊の紋章が使えるのは皇室のみとされます。

 

しかしその後、徐々に緩和されて神社仏閣では、社殿の装飾や幕・提灯に菊紋の使用を許されます。

ちなみに、明治神宮の授与品や御朱印、お守りに描かれている菊の模様は「12枚」です。

 

これは、皇室に遠慮して16枚より少ない数の菊の花びらを用いたという証拠。

詳しい詳細は後程。

 

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桐が日本国政府の紋章になった理由

桐は古代中国で「鳳凰が棲む」という言われがあります。

鳳凰は不死鳥とも呼ばれている為、とても神聖視されていたよううです。

 

その為、菊の紋章と共に桐紋も皇室専用の格式ある家紋でした。

天皇の衣類や文様にも使用されていたそうなんですが、実は菊の紋よりも古くから用いられていたとの事。

 

その後、戦国大名達も桐紋を用いるようになり、足利氏や豊臣秀吉は天皇から桐紋を賜るようになりました。

室町時代には足利将軍一家とその他15家の一門が桐の紋章を使用し、

戦国時代では、織田信長が、

徳川幕府では庶民から大名までもが桐の紋を利用する程に。

 

また、室町幕府では小判などの貨幣にも桐紋が刻印。

これ以来、室町幕府のほか皇室や豊臣政権など様々な政権が用いるほど、人気が上がった桐紋。

 

その為なのか、皇室との差別化を図る為に、最終的には皇族は菊の紋章のみを用いる事になりました。

 

では肝心の菊の紋章と桐の紋章の違いですが、これは政治が絡んできます。

今はありませんが、昔大日本帝国政府が皇室の菊紋章を多用。

日本国憲法憲政下の日本政府(内閣総理大臣および内閣)は桐紋章を利用した事から、桐紋は日本国の象徴となり現在に至るのです。

 

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明治神宮に菊紋と桐紋が用いられている理由

明治神宮を建設したのは、明治時代です。

明治神宮は何故できたの?時期は?

※「明治神宮のお守りお値段一覧表。ご利益高い人気のお守りとその理由は?」の明治神宮の縁結びお守りは効果が高い!?の項目に明治神宮が建設された理由や時期が記載してあります。

 

元々皇室の特徴である16枚の菊の紋様は、明治神宮を建設した明治時代にはそこまで菊の紋を皇室専用の特別な物にするという規制が定まっていませんでした。

その為、建造物にたくさんの16枚の菊が用いられましたが、昭和の時代になり、明治神宮特有の紋を作った方がいいのではないかという事でそこで初めて

菊紋と桐紋を併用したデザイン

を考案し、更に皇室ご用達の16枚の菊花ではなく、皇室に遠慮するという形で12枚の菊にしたデザインを編み出したのです。

 

その後、授与品やお守り、御朱印は全て菊の花は12枚です。

▼先程の御朱印の画像はこちら▼

 

昭和時代より昔からある鳥居や建造物は、菊の花が16枚になっています。

このような経緯で、明治神宮には

  • 菊の紋章
  • 桐の紋章

が併用されたデザインとなっているのです。

明治神宮初詣の作法を一から学ぶ!混んでたらどうする?

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まとめ

天皇家の菊紋については、他にも様々な論争があります。

最初にお伝えした、そもそも菊は今のイラク辺りから中国などを経て輸入された花です。

 

魔除けとも高貴な花とも言われる菊が、実はエルサレムの城壁にも菊紋が彫られているのだとか。

エルサレムと言えば、イスラエル。

イスラエルはユダヤです。


天皇とユダヤは何か繋がりがあるのでしょうか。

次回に続く・・・。

➡日本人はユダヤ人の末裔⁉共通点と君が代の謎!菊紋は天皇だけじゃなかった⁉
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