褒姒(ほうじ)は周を滅ぼした悪女!?正体は九尾の狐?生い立ちの謎は?

那須高原

周の12代目の王「幽王」の2番目の妃が褒姒(ほうじ)です。

褒姒は、幽王を惑わし滅ぼさせた女性として、歴史に名を残しています。

褒姒は生まれが不明で年齢も不詳。

美女であり、幽王から寵愛を受けていたことから、殷の妲己と同じく九尾の狐だったとの噂も出ています。

褒姒は一体どこから生まれ、どのような女性だったのでしょうか。

周を滅ぼした要因は何だったのでしょうか?

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褒姒(ほうじ)とは

中国、周の時代の12代目王様「幽王」の皇后。

そして人々をあざけり、周の国を滅ぼした張本人で実在する人物です。

 

褒姒は、周に敗れたという国の美女で、戦いに敗れた時に周の王様に献上されました。

その後、周の王様は褒姒のとりこになり、本妻を裏切って、褒姒を一番の皇后にしてしまいます。

 

しかし、褒姒は幽王に嫁いでから一切笑いませんでした。

ある時、幽王は間違ってのろしを上げてしまいました。

 

のろしが上がると、緊急事態として将軍たちは王宮に集まるという決まりでした。

敵が襲ってきたのは間違った情報だった為、将軍たちは拍子抜け。

 

それを見た褒姒。

幽王の前で初めて笑ったのだとか。

 

褒姒にどっぷりはまっていた幽王は、それを見て大喜び。

その後、わざとのろしを上げて将軍たちを無駄に集め、褒姒が笑う姿を見て満足する幽王。

 

段々、将軍たちに不満がたまっていきました。

また、幽王は褒姒に夢中すぎて政治にも関わらなくなっていきました。

 

しかし、政治を任せていた人物がこれまた悪徳政治を行います。

名前は虢石父(かくせきほ)

 

民に重い税金をかけ、苦しませました。

民からは恨まれていたそうです。

 

王に対してはへこへこし、嘘ののろしを上げさせたのも、かくせきほだと言われています。

褒姒が初めて笑ったときは、幽王から褒美がもらえたとか。

 

その額、1000両。

1000両って一体いくら?と思いますが、なんと今の時代に換算すると1億以上だったらしいです!(;’∀’)

 

さらに幽王は、自分の1番目の皇后をその地位から引きずり下ろし、褒姒を皇后にしてしまいました。

もちろん、幽王の跡継ぎは最初の妃の子供ではなく、褒姒の子供。

 

これに怒った最初の皇后の父親。

褒姒を妾にしておけばよかったものを、褒姒を喜ばせるためなのか、それとも褒姒に耳打ちされたのか、褒姒の言いなりになっていました。

 

そして幽王は、不満を持った部下や先代の皇后の一族に反乱を起こされ、殺害されてしまいます。

なんとその後、褒姒は姿を消したのだとか。

※襲われた敵国に連れ去られたとの説もあり

 

また、褒姒は生い立ちが謎だったらしいです。

そのため、「九尾の狐」ではないか、との憶測がたっています。

 

では、まず褒姒の生い立ちを辿ってみましょう。

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褒姒の生い立ち

昔、「夏」と呼ばれる時代がありました。

中国の歴史の中でも古い時代に当たります。

 

その「夏」の時代に龍が現れ、夏の皇帝に龍の口の泡を与えました。

夏の皇帝はそれを大切に箱に納めました。

 

その後、夏は殷に滅ばされてしまい、龍の口の泡が入った箱は、周と言う殷の次にやってくる時代の国にわたりました。

※周は殷の部下でした。いわゆる日本の中の東京みたいな感じです。

 

殷が周に滅ばされ、周の時代がやってきて10代目の王の時。

長きに渡って開封されなかった龍の口の泡が入った箱を開けると、泡が箱からあふれ出し、その泡がトカゲになりました。

 

トカゲは後宮に入り、7歳のある女の子にあいました。

その後、その女の子が15歳になった時にいきなり女の子を産んだそうです。

この女の子は結婚もしておらず、夫もいなかったとのこと

 

ビックリした周りの者たちは怖くなり、産まれた子供を捨ててしまいました。

※泡ではなく、よだれだと言う説もあり。またトカゲではなく黒い亀ともある。女の子が出産したのではなく、トカゲと出会った女の子自体が褒姒になったともあります。

 

周の王が11代目になったとき、ある噂が立ちます。

山桑の弓と萁の矢筒が周の国を滅ぼす

 

そこで11代目の王「宣王」が調査すると、

  • 山桑の弓
  • 萁の矢筒

を持った夫婦を見つけます。

 

こいつらが周の国王を狙っている人物なのかと殺されそうになった夫婦は、褒国という国に逃げます。

逃げる途中、捨て子を見つけたので、拾って一緒に連れていき育てます。

 

その後、夫婦が逃げた褒国が周の国を怒らせるようなことをしてしまい、その見返りとして、すでに大人になっていた捨て子を献上しました。

なぜ、捨て子を献上したのか。

 

それがまれにみる美女だったからです。

褒姒の名前は、褒の国からきたという意味で付けられました。

 

その後、周の王様が変わり、とうとう12代目の幽王が王になります。

幽王は、本妻がいるにも関わらず、褒姒を寵愛します。

 

しかし、褒姒は幽王の前で一切笑わなかったそうです。

幽王は、何とか褒姒を笑わせたくて試行錯誤しますが、全て失敗。

 

ある時には、絹を切り裂いただけで褒姒が少し笑ったということで、国中の絹を集め切り裂いていったこともありました

当時、絹は高級品で民には手が入らないほどでした

 

しかし褒姒は全く笑わず、先ほど紹介した「嘘のろし」で、とうとう褒姒を笑わせます。

その後、嘘ののろしで集まる将軍たちを見て笑う褒姒。

 

褒姒の笑顔が見たくて、のろしを上げ続けた幽王は、誰からも信用されなくなり、とうとう本当に攻められた時には部下たちに助けてもらえず、滅びました。

 

しかしその際、褒姒は

  • 一緒に殺された
  • 敵に連れ去られた
  • 姿を消した

など、数々の伝説が残っています。

 

また、周の10代目に産まれた子供であるなら、12代目の幽王の時には何歳になっているのだ
という議論もあります。

王が在位していた期間はそれぞれ

  • 10代目厲王:36年
  • 11代目宣王:46年
  • 12代目幽王:10年

 

幽王と褒姒が出会ったのは、幽王が王位についてから3年後。

ざっと計算しても褒姒は50歳を超えている計算です。

 

50歳を超えても美貌を保ち、幽王を惑わせる力があるとするならば人間とは思えません。

この辺も不明なのだそうです。

 

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褒姒は九尾のきつね!?

  • 年齢不詳
  • 生まれも謎
  • 龍伝説

そして、周の国を滅ぼしたということから、褒姒は九尾の狐だと言われています。

 

那須高原にある殺生石には九尾の狐伝説が残っています↓

 

基本的に、国を滅ぼした美女はみな「九尾の狐」と言われ、うまく美化されているとも考えられますが、褒姒の場合

  • どこで生まれたのか
  • 親は誰?
  • 幽王が死んでからの詳細が不明

ということから、伝説の美女として最も候補の高い女性です。

 

  • 夏の末喜(まっき・ばっき)
  • 殷の妲己(だっき)
  • 周の褒姒(ほうじ)

これらの美女たちはみな九尾の狐だとされ、国を滅ぼした要因の人物たちと言われています。

 

ちなみに歴史の順番としては

です。

 

夏の時代に国を滅ぼしたとされる皇后の末喜は、贅沢を好み快楽を求め、自由奔放に生きていた挙句、王と共に国を堕落させ、最終的に殷に討たれました。

殷は、30代目の国王「紂王」の皇后・妲己によって国は破滅しました。

 

そして周。

12代目の王の皇后・褒姒でまたもや国は破滅しました。

 

全て九尾の狐の仕業だと言っていますが、果たしてそうなのでしょうか。

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なぜ褒姒は笑わなかったのか

褒姒は、周の支配下であるという国が罪を許してもらうために差し出した献上品です。

褒姒にしたら、奴隷と変わらなかったに違いありません。

 

大切な父と母から離れ、そして生まれ育った国からも移動させられ、そこで笑顔で過ごせるでしょうか。

そこで幽王にこびれる女性なのか、それとも褒姒のように王宮での務めはするものの、笑顔は封印してしまうのか。

 

王は生まれた時から全て自分の思い通り。

褒姒が自分の思い通りにならないことが、余計に恋心をかきたてさせられたのかもしれません。

 

それとも

  • 褒の国の策略?
  • 褒姒自身が九尾の狐だから?
  • 褒姒は元々笑顔のない女?

 

真相は闇の中ですが、これだけは間違いありません。

褒姒ではなく、幽王が愚かだったということ。

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まとめ

褒姒はそこまで悪い女なのでしょうか。

ただ笑っただけで、愚かな幽王がそれを喜び、人を馬鹿にし続けただけのように思います。

愚かな王には、普通ではない美女がつくのかも。

今の時代ではどうでしょうか。

今は菅氏が総理大臣ですが、安倍総理大臣の時の奥様。

散々総理大臣を振り回せたように思いますが・・・。

余談ですが、キングダムでお馴染みの「秦」の時代は、幽王の後。

夏→殷→周→秦→漢→魏→晋→南北朝→隋→唐→宋→元→明→清

ときて、やっと中華民国がスタートします。

次に悪女だと呼ばれる美女は、どの時代に進出するのでしょうか。

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