那須高原の殺生石に行くと、不思議な伝説が書いてある看板を見つけました。
そこで知った「九尾の狐」
そして更に調べると、どうやら九尾の狐の発祥は昔々、中国で悪行を繰り返した女性・妲己という人物だと知りました。
妲己の名前は聞いたことがありますし、妲己の酒池肉林も知っています。
しかし、なぜ酒池肉林をしたのか、また妲己はなぜここまで「悪女」と呼ばれているのか。
妲己を徹底的に調べると面白いことが分かりました。
果たして妲己は本当に九尾の狐なのか、それとも人間の悪そのものなのか。
妲己(だっき)とは
昔、では殷(いん)という時代がありました。
紀元前11世紀ごろです。
その時代を統治していたのは紂王(ちゅうおう)と呼ばれる、殷の30代目の国王。
その紂王をたぶらかし、国を地獄に陥れたのが、妲己という美女。
この妲己は、紂王の妾で寵愛されていたと言われる女性。
かなりの美女だったらしく、紂王は妲己なしでは生きられないほど彼女を愛します。
しかし妲己は、残酷極まりない処刑を繰り返し、現代のパーティピーポーの先駆けとも言われる乱交パーティーを開催します。
処刑では、紂王と一緒に人が死ぬのを見て笑い転げ、乱交パーティーでは自分も紂王とみだらに絡み合います。
妲己は、人間が苦しみながら死んでいく姿を好み、快楽を極めます。
王宮の中で乱交パーティーを行ったその内容が、かの有名な「酒池肉林」。
干し肉をつるし、酒の池を作って日夜遊び惚けたという逸話があります。
歌では
- 新淫の声
- 北鄙の舞
- 靡靡の楽
というみだらな歌を作らせたそうです。
民に重税をかけて、お金をどんどん蓄える。
庭園を拡大し、犬や馬などの野獣を集め、その中に放す。
自分に逆らう者を全て処刑し、その処刑方法が残酷すぎたため、殷から逃げ出すものが続出しました。
これら全てを妲己が発案し、紂王にやらせていました。
要は紂王を操っていたのです。
紂王は妲己の言いなり。
そのため妲己は、九尾の狐が化けた魔物だという説もあります。
※ウィキペディアより
妲己の素行が、あまりにも傍若無人なのを物語にする過程で、
妲己=九尾の狐
という物語が妲己の死後作られ、美人なのにあんな残虐なことをするのは狐の仕業だ、と後世の人々は思いこみました。
では、妲己の言いなりだったという一国の王・紂王とは一体どんな人物だったのでしょうか。
妲己の言いなり「紂王」とはどんな人物?
殷の紂王という王様は、祖先を敬い、「人身御供(ひとみごくう)」と言う、人間を生け贄にして神様に差し出す祈願等をやめさせた理想の王様でした。
紂王は美男子で、口も立ち、力も猛獣のように強かったといいます。
頭の回転も早く、何事もそつなくこなします。
- 美男子
- 頭いい
- 行動力ある
- 力も強い
恐らく、王になるべくしてなる人物だったのではないでしょうか。
紂王が納めていた「殷」という国は強大で、戦いを挑んできた相手も全て倒してしまうほど。
そして倒した相手の国は全て奴隷にし、国の規模をどんどん巨大化。
殷は紂王で最後になりますが、600年間中国を支配してきた巨大国家。
そんな敵なしの殷の紂王は、段々自分の敵はいないと思うようになりました。
自分自身を過剰に評価し、おごり高ぶるようにもなりました。
頭が切れる紂王は、部下は全て頭が悪いと感じてきました。
部下が自分に意見をすると、得意の答弁で相手を丸めこめます。
紂王は次第に、政治を自分の思うがままに操るようになります。
民には重税をかけ、神への祭祀をおろそかにするようになりました。
いわゆる暴君になってゆきました。
紂王には、多くの妾がいました。
紂王の機嫌を取るために美女を差し出す部下も多くいたといいます。
戦いで倒した相手国の姫君を妾にすることもありました。
その中の一人が「妲己」です。
妲己は今までの妾とは違い、遊び人の紂王を虜にさせてしまいます。
紂王は、妲己に言われるがまま贅の限りを尽くし、自分に邪魔なものたちを次々と殺し、残酷な処刑方法を見て楽しみました。
段々紂王に恨みを持つ者が増加し、最終的には「周の武王」に追い詰められ、焼身自殺で最期を遂げます。
王になるべく才能と統治力に長けていた紂王は、妲己という一人の女に人生を狂わされ、そして破滅しました。
妲己と紂王の出会い
紂王が有蘇氏と戦い勝利した時に、負けた有蘇氏が娘を献上しました。
その娘が妲己でした。
妲己は今でいう石原さとみさんや、滝沢カレン、ローラ程の美女だったと言われています。
勝手な私の美人像です。。。
(殷の時代の美女のタイプは違うかもしれませんが笑)
それよりも何よりも、妲己は男を虜にする色っぽさも備わっていたのだそう。
女性ホルモン全開です。
紂王が妲己に出会ったのは妲己が10代の頃ですが、その頃にはすでに色っぽさを兼ね備えていました。
紂王は一気に妲己にのめりこみ、妲己の言うことは何でも聞くようになります。
あらゆる財と快楽を与え、妲己の気を引こうとする紂王。
妲己の言うことは全て受け入れ、毎日パーティ三昧で乱交を繰り返していたと言います。
妲己と紂王の出会いは、地獄の始まりだったのかもしれません。
妲己と紂王の残虐極まりない地獄の殷政とは
- 酒池肉林(しゅちにくりん)
- 炮烙(ほうらく)の刑
- 蟇盆(たいぼん)の刑
これらが、妲己と紂王が考え出した令和の時代でも歴史に残り続ける残酷な処刑方法と、究極の快楽を求めた遊び。
ひとつずつ詳しく解説していきます。
酒池肉林
肉をつるし、酒を池にためる「酒池肉林」と呼ばれる徹底的に快楽を求める遊び。
妲己を喜ばせるために、紂王が考えたと言われています。
王宮の敷地内の庭園で、木から大量の干し肉を吊り下げ、酒かすで作った地面に酒を満たしました。
美しい男女を裸にして追いかけごっこをさせ、酒の池で泳ぎ、男女に淫らな行為をさせました。
みだらな歌をかけ続け、毎日淫乱にふけっていたのだそう。
こんなバカな真似はやめさせたいと、家臣たちは何度も止めに入ったそうです。
しかし、反発したものは皆処刑されてしまい、紂王の叔父さえも殺されました。
炮烙(ほうらく)の刑
多量の油を塗った銅製の丸太を、燃え上がる火の上に設置。
その丸太の上を裸足で歩かせ、渡り切ったら免罪にするという処刑方法。
よく芸人がプールや池の上でツルツルの丸太を歩き、落ちたらアウトというゲームをしていますが
- 下は火
- 丸太は油でツルツル
そんな状態で渡り切れる訳ありません。
丸太自体も火の熱で歩くこと自体が不可能なほど、灼熱だったそうです。
丸太で滑って必死に丸太にしがみついても、焼け焦がれてみな死んでしまったとか。
妲己も紂王も免罪にする気など毛頭なかったとは思いますが、残酷な事はもっと他にありました。
ツルツル滑る丸太から落ちて死ぬ罪人を見て、妲己と紂王はお腹を抱えて笑い転げたと言います。
…異常ですよね。
確かに芸人さんが丸太の上から滑って水の中に落ちていくのは面白いです。
しかし、そこには絶対的な「安全」があり、死は想定されていません。
笑うという感覚が、私達「人間」には理解できません。
この処刑方法は、臣下がやめるよう懇願し、自分の領地を差し出すことで聞き入れてもらえました。
蟇盆(たいぼん)の刑
地面に穴を掘り、その中にサソリや毒蛇を大量に入れて、処刑する方法。
罪人をそこに突き落とす、という処刑方法。
このサソリや毒蛇、実際に集めたのは民だとの話も。
殺されるのは民。
その殺される猛獣を集めたのも民。
そして、そうさせた張本人が妲己。
この2つの刑が有名ですが、その他にも
- 妊婦の腹を裂き、男か女かを当てる
- 女同志を本物の剣で戦わせ、勝ったほうは酒池肉林、負けたほうは蟇盆(たいぼん)の刑
妲己が「私はお腹の子の性別が分かる」と紂王に言い、妊婦の腹を裂いて確認させたそう。
また妲己は、兵士同志や女同志を殺し合いさせ、勝ったほうは酒池肉林で酒の池へ。
負けたほうは、蟇盆(たいぼん)の刑。
※歴史資料の宝庫より
酒池肉林の酒の池では、お酒で溺れてしまい、溺水する人が続出。
結局、勝利はなく、死だけが待っているのでした。
他にも数々の処刑方法はあったと思いますが、歴史に残っている処刑法は上の2つ。
妲己が好んで行っていた刑罰なのかもしれません。
妲己が原因で殷はどうなっていったのか
このような振る舞いをほめたたえる腹黒い部下は、紂王に次から次へと女性を差し出していたのだそう。
それに反して、国を良くするために紂王に助言する王族の親族もちゃんといました。
しかし何を言っても耳を貸さない紂王に対し、ある親族は頭が狂ったふりをして王宮から抜け出し奴隷になったり殺されたりもしました。
その中でも紂王の叔父(紂王の父の弟)である比干という人物は、殷の為に何が何でも紂王に悪事をやめさせようと奮起します。
「女性の言いなりになっていては、国は亡びるでしょう」
とはっきり申し伝えましたが、紂王は聞き入れてくれません。
耳を貸さない紂王に対して、3日間紂王のそばを離れませんでした。
ある時妲己がこう紂王にささやきます。
「聖人(徳が高く人のお手本になるような人物)の心臓には7つの穴があると聞いております。それを見てみたいものです」
そうして紂王は妲己の言うがままに、叔父である比干の胸を切り開き、心臓を取り出して実際に確認しました。
このような行いを続けた紂王に反発する者も多く、殷の周りでは紂王撲滅の為の組織が立ち上がりました。
しかし、紂王はいち早くこのような動きを察知し、謀反を行おうとした人物を次々と処刑していきます。
やはりかなり頭が切れます。
処刑した人物の中には、身体を切り刻まれ塩辛にされたり、干し肉にされた人もいたのだとか。
その中で、後に紂王を討つ周の武王の父が謀反の疑いでつかまってしまいました。
武王は父を助けるべく、周の領地と財産を紂王に提供することで釈放してもらえます。
この武王の父、かなり人徳のある人物で、周の国では農民が道を譲りあい、若者は老人を敬うのが当たり前でした。
それを見た他国の王が、次々と武王の父に集まりましたが、武王の父は志半ばで亡くなります。
意志を引き継いだ息子、武王は紂王を討つべく戦場に出ました。
この時、なんと瑞兆をいくつも見たのだとか。
瑞兆とは、良いことが起こる兆し。
鳳凰や竜、鶴や亀を見ると良いことが起こると言われています。
また、突然良い香りがしたり、虹色の雲・彩雲を見るのも瑞兆です。
新しい星・玉・金属の発掘や吉夢も含む
他の国の兵士たちも続々と武王の元に集まりましたが、武王は時期早々だとして一旦引き返します。
そして2年後。
紂王に戦いを挑みましたが、
- 周の兵:約5万
- 殷の兵:約70万
という、数では圧倒的に負けていた武王。
しかし、殷の兵は奴隷や捕虜が多くいたのと、紂王の政治に不満があるものばかりで、そもそも殷の為に働く意志のある兵士はほとんどいなかったのだそう。
そのため、武王が攻め入るとすんなり道を譲る兵士たち。
あっという間に大敗した紂王は、自分の王宮に逃げ帰り、焼身自殺をしました。
丸焦げになった紂王を武王は更に3本の矢を討ち、殷は終わりを告げました。
そして、妲己も武王に殺されます。
武王がはこう叫びました。
「紂を亡ぼす者はこの女なり」
殷は妲己が滅ぼしたと言っても過言ではない、そういう意味です。
妲己は努力家だった!?
妲己は
「弁辞をよく好み、姦を究めること盛んにした。その言を帝辛が用いて民を苦しめた」
と漢書に書かれています。
弁辞とは、自分の考えを話し伝えること。弁舌とも言います。
姦とは、みだらという意味もありますが、おしゃべりでうるさいという意味も兼ねています。
漢書に書かれているのは
という意味になります。
自由奔放で男を虜にする魅力を持ち合わせた妲己は、言葉と身体を巧みに使い、紂王を操ったのでしょう。
しかし、紂王には妲己の他にも多くの妾がいました。
その中で、何故妲己は紂王の一番のお気に入りの妾として、女帝として君臨したのでしょうか。
妲己は、数種類の桃の花から花便を取ってできた、燕脂(えんじ)という赤色の染料を使い、今で言う頬紅を作りました。
そしてその頬紅を塗って、身なりを綺麗にしていたものと思われます。
今の時代でいうと、化粧を完璧にしていた感じです。
桃の花から頬紅が作れるぐらいなので、香水も作っていたかも。
着る服ももしかすると、自分でデザインしていたかもしれません。
そうして他の妾とは差をつけ、紂王の愛を一心に受けていた妲己。
紂王の愛を独り占めするために、身体と心の全てを使い、全力で振り向かせる努力が人知れずあったのかもしれません。
妲己は九尾の狐!?
殷の国を亡ぼすまでに至った妲己の行為は、実は九尾の狐が化けていたのではないか、と後世の時代では語り継がれ、それが物語としても登場します。
-
- 快楽を極めるためだけの酒池肉林
- 残酷な処刑方法で人が死ぬのを見て笑い転げる姿
- 自分に邪魔なものは次から次へと排除する悪の女王
どう見ても、人間ができる行いではありません。
あまりにも残酷で国を滅ぼした、悪の顔を持つ妲己。
人間を人間とも思わない発言・殺戮でその時代に生きる人々を恐怖に陥れたことから、妲己は実は人間ではなく、狐が化けていたものだという物語が
で紹介されています。
物語では、妲己は紂王を陥れるために遣わされた者。
紂王を暴君を止めるための、神からの使いだそうです。
妲己が九尾の狐かどうかの証拠はありません。
- 人間でいてほしくない
- 獣であってほしい
そんな思いから、妲己は九尾の狐だという伝説が出来たのかも。
九尾の狐伝説が強い那須高原の殺生石についてはこちら↓
まとめ
妲己の残酷さは想像以上。
妲己は、本来人間の「悪」を表にさらけ出した、狐よりも恐ろしい人間の本来の姿なのかもしれません。
近年、妲己のような女性はいるかなーと考えたのですが、、、人を蹴落とすという面ではかなりいると気づきました(笑)
ちなみに妲己は、紂王が滅ぼした有蘇氏の娘。
戦いに負けた有蘇氏が、献上したのが妲己でした。
残酷な仕打ちは父の恨みか、それとも妲己の本性か。
九尾の狐は徳のない君主には破滅を与えるとされる瑞獣ですが、そもそも徳のない君主は周りから多くの恨みを買っているため、瑞獣でなくともいずれは滅ぼされる運命なのかもしれません。
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